2005-04-20 第162回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第4号
○岩永副大臣 この場合、開田を全面的に中止して、未墾地造成面積を減らそうということで開畑に切りかえた、こういうことでございます。そしてあわせて、区画整理事業に切りかえまして、排水路護岸工事等の追加をしております。
○岩永副大臣 この場合、開田を全面的に中止して、未墾地造成面積を減らそうということで開畑に切りかえた、こういうことでございます。そしてあわせて、区画整理事業に切りかえまして、排水路護岸工事等の追加をしております。
だんだん農地造成も表土のないところ、無理なところを開畑していったと、そういう歴史でありますので、私どもも、そういうところについては表土埋め戻し工法からしっかりした表土を手当てするというふうなこともしていかなきゃならないということを主張したことがあります。
○佐藤雄平君 昭和四十年に市町村から申請があったと、今、次長の話でありますけれども、たしかそのときは、やっぱり中心は開田、田んぼをつくりたいということでお願いを、判こを押したと思うんですけれども、それがちょうど昭和四十五年になってから、開田から開畑、全部が全部ではありませんけれども部分的になっておる。
したがいまして、開田計画そのものを中止しなければいけないということで、この地区の場合まだ着工していなかったというようなこともございまして、開田から開畑へ計画を見直して、そして先ほど申しました農地開発の基本計画も再度つくり直しまして、その変更の基本計画に基づいて計画を樹立したところでございます。
それからもう一つは、開田、開畑含めまして、十アール当たり米一俵一万八千二百円、こういう約束で始まった、こういうことでありますから、とりわけこれは三年据え置き、十二年償還で始まった事業だと、こう言えます。 しかし、二十五年過ぎてみますと、これは大変な状況に実は先ほどからの意見の連続で来ているということであります。
この地域で消防屯所、いわゆる消防車、消防団員が集まる屯所、これをこの農業振興地域の中の開畑の畑を実は譲ってつくりたいと言ったけれども、これもだめという返事が出てきた。それからもう一つ、果樹園、大変果樹が生産されてきて選果場をつくりたい、それでその開畑された一角に選果場をつくりたい、これもだめと言われた。本当にだめと言ったんですか。
それが開畑に変わったということもございますが、その開畑面積がさらに縮小していくということもございます。
これが実際にこの事業に着手するころから米の過剰ということで開田はいけないということになったので、開畑に変わってきたというようなことがございました。その間の関係でいろいろ地元調整を図りながら計画の見直しをやったわけですが、その後において、一たん開畑ということで踏み切った方でもやっぱりこれは開畑ならやめたわというような方も出てまいります。
○会田長栄君 それは国が主体になって事業をするから、国に責任があるということでございましょうが、最終的に農家の方々の圃場整備あるいは開田、開畑いろいろやるわけでありますから、当然にしてその事業計画というのは農家の方々の御了解を得て初めて成り立つものと私は思っているんです。
一方、壊廃になった農地と、それから開田、開畑ということで土地造成をしたところとございますから、数字的にはここにもいろいろございますけれども、「農産物の需給と生産の長期見通し」の中で、前提として五百五十万ヘクタールの農地が必要であるというふうになっておるのです。
さらに、耕作放棄地を解消するためにどんな手を打とうとしているかという問題ですが、この間も、局長わかるとおり、鯵ケ沢東部開畑三千ヘクタールの中で既に耕地として耕やしたものを、作付する作物、ペイする作物がないために耕地として不耕地になったものを回復しようと思っても、農民がついていかない。浪岡町の東部開畑というところ、千五百町歩をリンゴ畑に開いた。
利用できるようにする、また灌漑の施設をつくってやって土地の生産性を上げる、こういうことがやはり農業生産性を高める一番大きな効果があることだと思うんですが、ただ、ここの中でひとつ私は奇異に感ずるのは、初め予想したより金額は大したことはないんですが、戦後本土で非常に重要視した荒蕪地を農地に切りかえようという開墾、開拓、これは開発と書いてあるんですが、こういうのをいままで本当に相当重要な開田というんですか開畑
そういう意味では評価をするんですが、この方向を示されたについては、私は今日の灌漑排水事業、これは県営もありますし、あるいは国営直轄のものもあるわけですが、こういう事情だとかあるいは今日省が行っておりますいわゆる干拓に伴っての開田、開畑、こういう問題もあると思うんです。
それから、東播用水灌漑排水事業でございますが、これは既存の畑あるいは開畑、こういったところに対する用水補給として水源を加古川水系に求めて事業着工にかかったわけでございますが、何分にも利水の形態が非常に複雑で、多方面にわたっております。
それで、お話のどおりに当初水稲ということでスタートしたわけでございますけれども、その後開田の抑制ということで畑作物を中心に変えるということにつきまして関係者の合意を得まして、了解を得まして、開畑計画に変更したわけでございます。
たとえば畑を開発する場合の開畑の国庫の負担、または補助金の割合は十分の七・五から八というふうに、本土に比べましてかなりいいわけですね。ですから、一般の場合の土地においてそうでございますから、軍用地の場合においては、これよりももっといい条件、地元負担といいますか、地主負担の面からいうと、これよりももっといい条件になるのがしかるべきだと思いますが、この点どうでございますか。
これを開畑計画、畑だけに変える。こういうことで、これにつきましては、当初の計画と変わるわけでございますので、両県とも十分協議の上、そういうことで事業をやろうということで現在まで事業を進めてきております。
もう一つは、稲転の場合は特別指導金なんか入ると五万円、新しく開畑の場合、これがないんだよ。こういう情勢で畑作から大豆がつくれると思っているのかどうか。思っていると、とんでもない話です。 それでもう一つ、大豆を進めていく上で価格と並んでいくのは、湿害を除去する土地基盤整備、輪作体系、それから共済制度だとかいろいろある中で、生産量の問題、反収の問題。
○小島説明員 転作奨励金のついております水田と新しく開畑をしましたようなところの大豆とのアンバランスという問題は、これは水田転作が一つの緊急課題として奨励金をつけております関係上、手取りの差が出てくるということはある意味でいたし方のないことと思っております。
そこで、先ほど米の問題を出されましたけれども、従来から干拓地におきまして米をつくるということにつきましては、この河北潟につきましてはもちろん当初は開田を予定して考えられておった地区でございますが、四十五年の開田抑制の際に、その後の開田抑制措置ということで振り分けが行われまして、河北潟では開畑でいくという結果、事業が進められた地区、こういう経過があるわけでございます。
たとえば、この要因の中にある四十五年以降の開畑、開田したものだとか、現在の作付面積なんというのは、秋田県のほとんどの市町村はとっておらないわけです。だからどういうことが起こるかといいますと、たとえば、秋田県の山本郡の琴丘という町でありますが、もう県から来たこの指示は最初からあきらめていたんです、とうていやれないんだということで。
幾らでもやれるという、こういう自信があるんですが、ところが、畑を丘陵地等で開畑した場合には、必ずしも経験とか、そういうものが十分でない。そこで、どうしても不安があるので、農用地の造成と合わせてその上に立てられる営農計画について、国営等の農用地造成の場合には、畑地造成等の場合には、十分な営農上の配慮をしてほしいと、こういう声が大変強い。
この開田抑制措置は本来開田計画ということで発足いたしました事業につきまして関係者の了解を得まして、これを開畑計画に変更をするというようなこととして開田抑制措置がとられてきたのでございます。先ほど挙げました地区につきましては、いずれもこの開田抑制措置の対象の地区であったのでございますけれども、約束に反しまして、畑作物をつくるべき農地に水稲をつくったということで問題になったわけでございます。
それぞれ地元の御納得をいただきまして、開田計画を開畑計画に変えてやっているということで、横島につきましてもそれぞれ地元の御了解を得て、開畑計画に変更して指導をしているというのが実情でございます。
ところが、最近のようなこういう事情になりましたので、干陸後の土地配分に当たりましては全面的に開畑に切りかえるということで、営農計画等も、水稲を含まない、ほかの作物でやるということでもって指導いたしておるわけでございます。
経過でございますけれども、これは米の過剰が問題となりました昭和四十四年、この昭和四十四年から米の生産調整と並行いたしまして開田抑制措置を実施いたしておるわけでございまして、本来開田計画として私どもが措置をしたわけでございますけれども、関係者の了解のもとにこれを開畑計画に変更をいたしまして事業を進めているわけでございます。
○政府委員(岡安誠君) 先ほど申し上げましたように、本来開田という計画であったのを途中で開畑に計画変更いたしたものですから、私どもは、それらにつきましては関係者の御了解を得ましてそういう指導をしてきたわけです。
で、私どもは魚野川東部につきまして水稲を作付しないようにということをお願いしておりますのは、先ほど申し上げましたように、米の生産過剰という背景のもとに開田を開畑として計画をし、御納得のもとに工事をしたわけですから、これを開田と同様な効果を生ずるようにすべての方々が水稲を作付したんでは、これは話が違うんじゃないか。で、現状もやはり米の過剰の傾向というのは続いているわけです。